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2023年2月16日、胡錦矗(フー・ジンチュー)先生が逝去した。
1970年代、第1回全国ジャイアントパンダ数量調査のリーダーになって以来、中国ジャイアントパンダ研究の第一線で活躍された方である。
2017年に掲載されたあるインタビューの中で、野生パンダと飼育パンダ個体群双方の問題点を忖度なく指摘した。
事情に詳しい中国のパンダファンは、先生がリタイアした後だからこそ発言できたのだろうと言う。
ここではその多様な論点の中から特に次の2点を取り上げ、補足と考察を加えたい。特に1は日本とも関係が深い。
パンダの飼育はパンダを保護するためではなかった(本号)
飼育パンダの繁殖能力は衰え続ける(次号)
◆捕獲され続けた子パンダたち◆日本へも来た野生パンダたち◆野生パンダの繁殖能力◆外国に送られたパンダたちの現状◆「野生復帰」という大義名分
捕獲され続けた子パンダたち
最初から飼育はジャイアントパンダを保護するためではなく、社会や国内外のパンダに対するニーズを満たすためだった、と胡錦矗は私に言った。
ジョージ・シャラー氏の名著『ラスト・パンダ』によれば、1988年には全米の30以上の動物園などがパンダのレンタルを希望していた。
それに対して当時中国の林業部が管理していたのは約27頭、国内の動物園にいたのは約60頭だった。
しかもこれらのパンダはほとんど野外から捕獲されたものである。
例えばフランス人宣教師が最初にジャイアントパンダを「発見」した四川省雅安市宝興県には、1970年代に野生パンダが300頭以上いた。それが現在(2017年時点)100頭余りしかいない。胡錦矗先生は言う。
「なぜか? 1950年代以降、宝興では全部で136頭のパンダを、しかも子パンダを捕獲しました。子どもが最も捕まえやすいからです」
他の地域も合わせると、(1950年代以降)捕獲されたパンダは200〜300頭になるという。これはよく言われる「密猟」とは別の、「合法的な捕獲」の数字だ。
胡錦矗先生がリタイア後に編んだ《大熊猫传奇》(2016年)でも、第2回全国調査で野生パンダが減少した理由の一つとして展示のための捕獲を明記した。1970〜80年代に捕獲されたのは全174頭(ただし移送中の死亡を含まない)という。
中国パンダ保護研究センターが飼育パンダのいわゆる「発情難・繁殖難・生育難」を克服したのは、2000年以降と言われる。
言い方を変えれば、それまで捕獲されたパンダはなかなか繁殖せず、生まれたパンダは死に続け、そのたびにまた野外から補給され続けた。
何のために?「国内外のパンダへのニーズを満たすため」である。
日本へも来た野生パンダたち
寄贈か短期のレンタルかを問わず、日本へ来たパンダたちも例外ではない。1972年〜82年に上野動物園に来たランラン、カンカン、ホァンホァン、フェイフェイ。
1980年に福岡市動物園に来たシャンシャンとパオリン。1981年にポートアイランド博に来たサイサイとロンロン。同年に上海雑技団の一員として来たウェイウェイ。
1988年に池田動物園(その後函館EXPO、アドベンチャーワールド)に来たシンシン。1989年にこうふ博に来たトントン。いずれも捕獲されたパンダたちだ。
これが「パンダ来日50年」の舞台裏である。
昨年上野動物園が公開した「上野動物園 歴代のジャイアントパンダ」では、フェイフェイについてナレーターが次のように言う。
「右耳にある2つの傷痕は、野生で暮らしたワイルドな雄の証(あかし)」
野生パンダの繁殖能力
ところで野生パンダの繁殖能力にまったく問題はない。彼らは雄同士で争い、最も強い雄だけが雌にアプローチでき、雌はその中で最も気に入った雄だけを受け入れ、生まれた中で最も強い子どもだけを育てる。
また子パンダは完全に独立する前に母親の次の繁殖行動を観察する機会があるため、雄でも雌でも自分が当事者になった時にすべきことを学習できる(詳しくはこちら)。
このようにして、ジャイアントパンダは最強の遺伝子を残して来た。パンダは決して「繁殖困難」などではなく、繁殖に対する「要求が高い」のだ。
人間はパンダから本来の習性を発揮できる環境を奪った上で、「繁殖困難」というレッテルを貼ってきたにすぎない。飼育下の繁殖技術が確立されるまで、実に多くのパンダが犠牲になった。
最近ようやく中国パンダ保護研究センターは自然交配による繁殖100%を達成しているが、他の繁殖基地はまだ及ばない。
外国に送られたパンダたちの現状
外国にペアで送られたパンダの状況はさらに厳しい。選択肢がないために必ずしも望まない相手との繁殖を強要され続け、自然交配がダメなら即人工授精が行われる。
この状況は、現在の「国際研究協力」という名目のレンタルでも変わらない。
言うまでもなく人工授精はパンダの身体に負担が大きい上に、妊娠する可能性も低い(王子動物園の2代目コウコウは人工授精の施術中に死亡)。
アドベンチャーワールドの永明と梅梅や良浜、上野動物園のリーリーとシンシンの背後には、少なからず繁殖に失敗した歴代パンダたちの影があり、今なお増え続けている。
「野生復帰」という大義名分
我々は何のためにジャイアントパンダを飼育しているのか?
中国の繁殖基地の現リーダーたちは、いずれも「我々の最終目的はパンダを野生に返すこと」と口を揃えて言う。
現在では「野生復帰」がパンダ飼育の大義名分になったようだ。
ただし野生復帰を行うには、十分な数の飼育パンダを維持し続けなければならない。そして飼育パンダを保有し続けるには、口実として野生復帰を実施し続けなければならない。
これは無限ループではないだろうか(野生化訓練について詳しくはこちら)。
著名なジャイアントパンダ研究者のシャラー氏、潘文石氏、呂植氏はジャイアントパンダの飼育に一貫して反対してきた。
また彼らにとっては、野生復帰よりも現存する野生個体群とその生息地の保護が最優先事項である。
ただ中国パンダ保護研究センターの初代主任にもなった胡錦矗先生は、少し異なる考えを持っていたようだ。
「飼育パンダのメリットは、その繁殖に成功した後(野生パンダを)捕まえなくなったことです。さらに生息地が保護され密猟を防げば、野生個体群は増加するでしょう」
胡錦矗先生は多大な業績を挙げながらも、中国の地方大学に留まり続けた。野生動物研究者として多くの葛藤と闘い続けたのちに、この境地に辿り着いたのではないだろうか。
20世紀後半にあった合法的なパンダ捕獲について、忖度なく証言できる人物はほかにいない。胡錦矗先生はその役割を果たされた。
我々は何のためにジャイアントパンダを飼育しているのかーそして、いつまで続けるのか?
これは中国国内だけでなく、長きにわたってジャイアントパンダの寄贈やレンタルを望んできた諸外国にも問われている(続く)。
今号より従来の「飼育員・監視員物語」のタイトル名を「熊猫人物語」に変更し、研究者や地元の人々を含めた内容をお伝えします。
続きが、早く読みたいです。
世界中のパンダが暮らしやすい状態になってほしいです。